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一人の老人が亡くなった。
written by さざなみ
  • シリアス
公開日2023年06月01日 23:24 更新日2023年06月01日 23:24
文字数
997文字(約 3分20秒)
推奨音声形式
指定なし
推奨演者性別
指定なし
演者人数
1 人
演者役柄
指定なし
視聴者役柄
指定なし
場所
指定なし
あらすじ
彼の死顔は涙に濡れていた。

20211006
本編
 一人の老人が亡くなった。
 自ら死を選んだ彼の遺書は、ただ、一言。
「ごめいわくをおかけして、申しわけございません」
 認知症を患い、漢字も忘れ、字も震え、それでも心底丁寧に書いたのだろう。
 とても優しい筆致のそれは、優しい故に悲しみが滲んで見えた。
 亡くなったのは自室。
 中々起きてこない老人に、彼の世話をしていた家族が不審に思い、部屋に行くと、ドアノブに彼の冷たい身体が引っかかっていたらしい。
 苦しかったのだろう。辛かったろう。
 彼の死顔は涙に濡れていた。
 室内に争った形跡はなく、不審な指紋もない。たった一言だけれど、遺書もある。
 老人が認知症を苦にした自死だろう。
 そう思いながら引き出しを開けると、使い古された大学ノートが出てきた。
 ぺらりと、表紙を開く。
 元号、月、日、曜日、そうして簡素な一文が書かれた日記だった。
 ぱらぱらとめくり続けると途中から字が幼く、拙くなる。
 ああ、病状が悪化し始めたのかと静かに目を通し続ける。
 日付は今から半年前のものだった。
「靴を左右反対に履きません」
「ご飯を食べたら歯を磨きます」
「食べる時はこぼしません」
「食事のあとは、くすりをのみます」
「毎日ふろに はいります」
「ごはんは、はしで食べます」
「粗相はしません」
「次は間違えません」
「ちゃんとおぼえます」
「ごめんなさい ちゃんとします」
「ごめんなさい」
「ごめんなさい」
「ごめんなさい」
 認知症患者にも、人格はある。
 殴られれば痛いし、冷たい言葉を吐かれれば悲しい。
 生きるすべを忘れてしまう病気でも、人格はなくならない。
 傷つくのだ。
 次のページをめくると、とてもとても丁寧に一枚だけ切り外されていた。
 破ったのではなく、丁寧に千切ったのであろう。
 机の上に寂しく取り残された遺書の紙と、ノートの千切られたページを合わせると、ぴたりと合った。
 思わずはらりと、涙がこぼれる。
 ああ、いけないと慌てて白手袋で拭い、ノートと遺書の紙を持ってこの家の客間に向かった。
 客間に横たえられているであろう老人の遺体を前にして、彼の家族の、悲しむでもなく、なんで死んだんだ、こちらの気も知らないで、これから近所にどう顔向けしたらいいと金切り声を聞いて、一つ息を吐き出す。
 そうして、音もなく襖を開けた。
 これを見て、少しでも彼の家族が、彼を亡くしたことを惜しんでくれたらいいと、そんな途方もない願いを込めながら。
クレジット
・台本(ゆるボイ!)
一人の老人が亡くなった。
https://twitter.com/yuru_voi

・台本制作者
さざなみ
ライター情報
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